★今年2度目の巡回は宮崎県にて
2週続けて布教巡回に出ました。
1週目で出かけている間に2軒のお檀家さんでご不幸があり、お寺に戻っている間にお通夜とお葬式をお勤めすることになりました。十分な時間が取れない状況下でご喪家の皆様とともにご葬儀をお勤めしましたが、訃報を受けてすぐに枕経を勤められなかったことは申し訳なかったです。
でも、一時期のように、ご逝去からご葬儀まで一週間以上かかるような状況(葬祭ホールと火葬の順番待ち)は、都内ではほぼ解消されているようで、小職のスケジュール可能な日時でお通夜・お葬式をお勤めさせていただきました。
そして2週目は宮崎県内の巡回です。
日曜日に現地に入り月曜日から巡回という日程が多い中、今回は月曜日に拙寺を出て現地に向かうというパターンです。離陸直後、羽田から横浜・湘南・伊豆半島あたりまでは地上の様子も見えました。宮崎ブーゲンビリア空港に到着して、宮崎市内にて現地の方たちとのお打ち合わせをして宿泊。
ベッドサイドに『古事記』が置いてあるのは、宮崎県ならではでしょうか。
2日目、午前と午後にそれぞれ巡回法話。各お寺の護持会代表の方が集まられて、地域の大切なお話の場にお招きくださいました。お勤めが終わって県内をやや北上、日向市に向かいました。
3日目、宿泊先の朝食はいつもお野菜中心。やや離れていた野菜エリアが見つからず、和風のおかずをいただきました。この日は午前中に港町のお寺さんでお勤めで、あいさつの言葉が「暑い中…」「蒸しますね…」と飛び交います。確かにそうですが、東京で感じる具合が悪くなるような蒸し暑さではなくて、とても健康的!身体は覚えているのでしょうか。子供の頃に感じていたのはこういう感じだったかな、と。お勤めを終えて、また少しだけ北上して、延岡市に向かいました。
宮崎県は、若山牧水の出身地で、上京して早稲田大学に学びます。東京滞在中は新宿区内にも住んでいたことがあるそうです。なんと、拙寺の数軒隣に住んでいたこともあるとのこと!今回はお役目があったので街中にある牧水の歌碑を見つけて写真を撮る程度でした。次に宮崎県に行く機会があれば、記念館や生家に行ってみたいと思います。
延岡駅、とてもきれいです。蔦屋が書店と図書館を運営していて、スタバとかも。駅に集まる人も増えたのでしょう。
4日目、高千穂地域でのお勤めでした。日本にとどまらず世界的にも有名な観光地ともなり、昨今は、海外からの観光客も大勢来ていて、慢性的な宿泊先不足がおきているそう。そのため今回のように外来の方を迎えても泊まってもらう宿探しが難しいと聞きました。お役目の中での訪問でしたので、なかなか観光で立ち寄ることも難しく、高千穂峡や神社はお預けでした。
午後は丸々空いたので、報告書などを調えたとしても時間はたっぷり。延岡市はチキン南蛮の発祥の町、その誕生のお店でお昼を。発祥のお店ではタルタルソースではなく、甘酢でいただきます。
そして延岡市を北に南に(右往左往とも)。大昔は島があったところに、沖積によって延岡の土地ができたそうです。だから「延岡」という地名なのだろうか…?その元々は島だったのが現在の愛宕山です。展望台にのぼると市内を一望!なお日本国内に「愛宕山」は100を超えるそうです。
5日目。最終日のお勤めとなりました。午前中で終了☆彡
そして宮崎ブーゲンビリア空港に向かいますと離陸までは4時間くらい。
5日間ご案内くださった方丈様のご案内で、宮崎空港のすぐ横にある特攻基地(旧日本海軍赤江飛行場)の慰霊碑を視察・礼拝しました。公道から、知っている人でなければ入りづらい、とても入りづらい敷地内を通って、現在の空港敷地のすぐ横、滑走路がよく見えるところに慰霊碑はあります。初めての特攻隊員の一人が、この宮崎空港から飛び立ったそうです。特攻の先駆けとも言われています。
旧日本海軍赤江飛行場
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/fs/3/8/5/6/8/6/_/385686.pdf
https://www.miten.jp/miten//modules/popnupblog/index.php?param=24-201701
空港についても離陸まではまだ時間があって、法衣で右往左往もできないので、なるべく人のいないところを巡りました。
県内各地のお寺さん方に本当にお世話になりました。いろいろと足りないこと、理解していないことなど多々あったかと思いますが、支えてくださる皆さんのお力により何とかお勤めすることができました。有り難うございます。
残念ながら、宮崎巡回中にお一人のお檀家さんが息を引き取られました。巡回中だと急遽戻ってお参りさせていただくことも叶いません。小職が戻るのをお待ちくださって、ご葬儀をお勤めさせていただきました。
檀信徒皆様に受け入れていただかなければ、住職がこのように各地を巡回することはできません。でも先週・今週のように、理解をしてくださっていた方がお亡くなりになってしまうと、すぐ駆け付けることもできず、また、日程もこちらに合わせていただくことになってしまい、申し訳なく感じています。
★今年の派遣は、お隣の埼玉県から
特派布教師4年目、1回目の派遣はお隣の埼玉県でした。とはいえ県内すべてではなく、地図上ではちょうど中央南部のあたり、6カ寺にお参りさせていただきました。始まりは川越市駅。終点駅ですが、その特有の寂しさはありません。梅雨空が…感じられません。
1日目は打ち合わせのみ。
2日目に1ケ寺をお参りし、お話の時間をいただきました。お勤めを終えて夕方、近所のまち歩き。宿泊先の近所にある公園が、学校の跡地であるようでした。校門だけが残されています。
3日目に午前・午後の2ケ寺に拝登してお話をさせていただきました。狭山はお茶どころ、地元ですね。冷たいゼリーが目玉焼きのよう?!
3日目の宿泊先にて。ムーミンバレーパークが近いので、近隣の宿泊施設が公式ホテルになっているようです。ロビーの一角にはムーミングッズが売られていました。
拝登したお寺の控室にて…室内でムカデを見たのは人生2度目。1度目は子どものころで、物珍しくて近くで観察していたら、「嚙まれると毒が回るよ!」と言われてすっ飛びました。今回2回目は用心はしましたが、持参した荷物の中に潜まれでもしたら困るので、捕まえて外にやりました。逃げて回ると案外早いんですね。
4日目…に限らず、どちらのお寺にお邪魔しても、いただくお茶が美味しいです。
5日目は、お勤めが終わって、台湾道教のお寺に立ち寄りました。突然、このようなお寺が建って驚いたそう。雰囲気が台湾そのものですね。
6日目、午前にてお勤めを終えて、東武東上線で帰ってきました。
法話会を受け入れお迎え下さいました各お寺のご住職様、寺族様、檀信徒皆さま、そして開催を主催されました地元教区の皆様、お集まりくださった檀信徒皆様、あらゆる方々に御礼を申し上げます。
実際にお邪魔しましたお寺さんの様子はこちらにアップしていませんが、最後に、いただきました写真をこちらに。こんな感じでお話をさせていただきました。
★自分の「みなもと」をたしかに
私たちにとって亡き人とは、この生涯を通して変わることのない自分の原点、根っことなるものです。万事万縁が変化の中にあるこの社会にあって、揺らぐことのない存在です。
お盆では、このような亡き人のことを、在(いま)すがごとくにお迎えし、在(いま)すがごとくに一緒にお過ごしいたします。
このお盆を迎えるにあたり、当山では次のような法要行事を勤めております。
◆すべての檀信徒のみなさま
① 盂蘭盆法要 (大龍寺にて)
7月13日(日)午後3時~4時頃
ご先祖さまをお迎えに来て下さい。盂蘭盆法要では皆さまのご参列をお受けします。
② 盂蘭盆宅経 (檀信徒ご自宅にて)
7月5日(土)~16日(水)
ご自宅でのお盆供養を希望される方は、日時ご相談のご連絡をお願いいたします。
苗字「は・ひ・ふ・へ・ほ」の方
近隣の方
その他、特にお申し出をいただいた方
◆ 初盆を迎えるかたへ
四十九日忌、または埋葬後に初めてお盆を迎える方は、今年のお盆は「初盆」に当たります。当山での初盆法要にご参列になり、ご自宅での初盆供養をお勤めください。
③ 初盆法要(大龍寺本堂にて)
7月5日(土)午前11時~正午頃
「新亡様お戒名 初盆供養」
「先祖代々 お盆供養」
をお勤めいたします。初盆の方は皆さまご参列ください。
④ 初盆宅経 (檀信徒自宅にて)
7月5日(土)~16日(水)
初盆の各ご家庭に参ります。訪問日時は、ご連絡済みです。
◆ お盆のご供養を希望されるかたは・・・
お盆にあたりご供養・お塔婆を希望される方は、事前に【施主名・よみがな】【ご供養のお戒名・家名】をお知らせ下さい。任意の金額の「お布施」と、1本3000円の「お塔婆代」をお納めいただければ幸いです。13日の盂蘭盆法要にてご供養させていただきます。
TEL・FAX・メールでのご連絡、郵便振替によるご送金、当日のお申し込み等、便利な方法をご利用下さい。
★上上下食上茶下寝、上法茶下食上食法下食上法下下、宴。
当山の徒弟 元熙上座は昨年(令和6年)2月に大本山永平寺にあがり、無事修行を続けさせていただいています。この度ご縁をいただいて今年の夏安居(げあんご;夏の100日修行)で首座(しゅそ)という役を仰せつかりました。首座は修行僧の先導役ですが、夏安居の始まる時に、「元熙上座に首座としての器量があるかどうか」を見極めるために、首座法戦式(しゅそほっせんしき)という法要が開かれ、激しい禅問答が交わされます。全山から問答がぶつけられ、これに応えるのは元熙上座ひとり、その他の法要もしっかり勤め上げれば、首座として認められ、全山が首座と心ひとつに夏安居を修行することになるのです。
■令和7年5月21日
多くの檀信徒、ご縁のお寺さんなど、50名を超える方たちとともに、永平寺に上山しました。本隊は東京駅を出発する北陸新幹線に集合、福井まで乗り換えなしです。途中駅や福井駅で加わる方もいて、福井駅でバスに乗り換えて本山までは30分ほどです。さっそく車内法話が始まりました。
15時半、本山到着。本山に到着すると縁の深いご老師が待っておられ、なんと、荷物を開ける前に!ということで諸堂拝観にお連れくださいました。このご老師は曹洞宗の布教教化に深く携わられており、かつてわたくしも、永平寺修行中はもちろん、修行から戻ってからも、大変お世話になっています。そのご老師が山内をくまなくご説明を加えながらご案内くださるのですから、たいへん貴重でした。到着して、七堂伽藍へのぼって、くだりました。
17時、薬石(やくせき)。日常生活からしたら早いかもしれませんが、道場ではこれくらいの時間に薬石(=晩ご飯)があります。本山では365日いつでも精進料理で、修行僧は、写真のようにたくさんはありません。参籠の私たち向けの大変なお御馳走です。お食事は宿坊機能のある吉祥閣の應供台でいただきました。
18時半、本則行茶(ほんそくぎょうちゃ)。再度七堂伽藍を上って、光明蔵にて茶菓をいただきました。続いて、禅の古則公案(こそくこうあん;悟りの逸話)からひとつを取り上げて仏法のお話をしてくださいました。今回取り上げられたのは『従容録(しょうようろく)』第72則「中邑獼猴(ちゅうゆうみこう)」でした。そして吉祥閣へ下りました。
20時、団参ミーティング。北陸新幹線には最寄駅からそれぞれが乗車し、福井駅や永平寺山内で加わった方たちもトラブルなく集まりました。一堂に会して交流する時間もなかったので、自己紹介に加えて「永平寺で見つけたこと披露」でグループごとに交流の場を持ちました。首座の元熙兄も加わり、わずかな時間でしたが、団参みなさんとも言葉を交わすことができました。
9時、開枕(かいちん)。翌日も早いので早々にお休みの時間です。
■5月22日
朝4時、振鈴。起床時間です。30分後には用意万端調えて、皆さま誰も体調異変もなく出堂することができました。
雲水さんたちが坐禅をしている時間に、光明蔵まで上がって不老閣禅師へのあいさつをさせていただきます。が、ご名代として副監院老師がお越しくださり、普段本山にて元熙がどのような様子なのかということも含めて、親しくお話をしてくださりました。
続いて、法堂にて朝のお勤め。
法堂献湯(はっとうけんとう;ご開山さまへの礼拝)、供養(檀信徒先祖代々供養)、尊宿諷経(そんしゅくふぎん;先代住職への報恩供養)、楞厳会(りょうごんえ)、朝課に参列し、住職・檀信徒がそろって禅師さまへの拝問、記念撮影をして、吉祥閣にて朝のお食事となりました。
9時、祝茶。またまた七堂伽藍に上がって祝茶。首座から本日の首座法戦式に臨んで、山内皆さんへ点心が振る舞われました。次の行事までの空いた時間は、菩提座をご準備下さり、同行のお寺さんからの法話、休憩をはさんで、首座焼香に参列をしました。首座が禅師さまの代香としてご本尊様と道元禅師様へのお昼の法要を勤めました。
そしてお昼。吉祥閣に戻り、お昼のお食事をいただきました。
こちらでもお祝いの意味を込めて「祝麺」をくださいました。
13時、大梵鐘。大きな行事がある時は大梵鐘が鳴らされます。
13時半、首座法戦式。これまでずっとそうですが、法要中の様子はネットに上げられません。当山檀信徒さんは新聞をご覧ください。法戦式がおわって、記念撮影をして荷造りを始めました。
16時、下山。首座さんが最後の見送りをしてくれました。彼はこの2本の石柱「龍門」から外に出ることはできません。私たちは大型バスで福井駅まで。ここで最後のご法話があって、一泊コースの方は福井駅から北陸新幹線で帰京、二泊コースの方は芦原温泉へ。温泉、祝宴、二次会、記憶ない三次会… 皆さまが楽しく過ごして、永平寺のこと、感じたことをお話してくださいました。
■5月23日
朝。お宿を後にして、観光で立ち寄る予定はありませんでしたが、駅は案外開かれていました。そして北陸新幹線で帰京。車中では皆様からの生の感想をお聞きして、東京につきました。
東京駅についてようやく、この三日間ばかりか、準備の段階から余念なくサポートしてくださったお寺さんも肩の荷を下ろしてもらえました。彼らがいなければこの首座団参は成しえませんでした。有り難うございます。取り急ぎのご慰労をさせていただいてお寺に戻りました。
加勢の旅から日常生活に戻ると、あの道場であった荘厳な出来事が、夢まぼろしであったのではないかという錯覚さえ覚えます。でも永平寺は今まさに3か月間の禁足修行、夏安居の真っただ中です。
彼らが北陸の山奥で放じた一滴の水は、世界中を巡り巡りて私たちの人生に安寧をもたらす慈雨となるかもしれません。逆に、私たちが心を尽くして日々をていねいに過ごせば、これも巡り巡りて永平寺での修行を支える燦々たる光になるかもしれません。
彼らのひたむきな修行を想い、日常の中で自らも心を清める一歩を踏み出すのが、その心の連鎖に応える術なのでしょう。都会の喧噪の中にあっても、崇高なものに繋がっていることを感じていきたいと思います。
これからも、法の灯を断絶することなく、共にていねいな日々を過ごしてまいりたく存じます。皆様の法身堅固とさらなる仏縁の広がりを祈念し、ここに御礼を申し上げます。